日本機械学会認定「機械遺産」について

摩周丸と可動橋は、青森の八甲田丸、可動橋と1組で、日本機械学会の「機械遺産」(2011年度)に認定されています。

認定指針には、(1)「機械技術の発展史上重要な成果を示すもの」という工学的視点のほか、(2)「機械技術で国民生活、文化、経済、社会、技術教育に対して貢献したもの」という文化的視点もあります。

今回の認定の主眼は可動橋です。可動橋は、車両航送(貨車を直接船に積み込んで運ぶ)のために、岸壁と船の間にかけられる橋で、潮位や、貨車積み出しによる喫水の変化に対応して動くようになっています。

現在、摩周丸が係留されている岸壁の可動橋には橋桁がなく(青森にはある)、橋門構(クレーン部分)しか残っていませんが、この可動橋は青函航路で最初に建造されたもので、1925(大正14)年5月20日に竣工、翌日から試験使用されています。

可動橋自体は機械というより施設で、今回の認定でも「Landmark(機械を含む象徴的な建造物・構造物)」という分類になっています。また、摩周丸に保存されている運航記録、建造記録写真、図面、取扱説明書等も認定対象となっており、当館では、車両航送という技術(システム)が認定されたものと理解しています。

青函連絡船の第一の使命は貨物輸送であり、その効率化を目指して車両航送方式の研究がなされ、1924(大正13)年に航路初の自航式車両航送船(翔鳳丸はじめ4隻)が就航。岸壁と車両の整備を待って、翌1925(大正14)年8月1日から、車両航送が開始されました。翔鳳丸以降、青函連絡船として建造された船は、すべて車両航送船です。

車両航送の効果は絶大で、輸送力が飛躍的に増大しただけでなく、荷造費が軽減、貨物の損傷・誤積・海中落失・盗難などの事故もほぼ皆無に。また、積みおろし時間の短縮で貨物の輸送距離が拡大、北海道の鮮魚類が関東・北陸まで運ばれるようになり、北海道の水産業に一大影響を与えました。

そして、1988(昭和63)年3月13日までの60年間、基本設計・構造・方式をまったく変更することなく(変えるには連絡船、可動橋、その他岸壁施設を一気にすべて取り替えなくてはいけないので、困難でもあった)、車両航送がつづけられました。