洞爺丸沈没は世界第2の海難なのですか?

よく、「洞爺丸沈没は、タイタニック号につぐ世界第2の海難」といわれますが、これは、タイタニック号沈没につぐ「世界的に有名な」海難事故、という意味だと思ってください。

なにをもって第2とするかですが、犠牲者数では、タイタニック号の前にサルタナ号事件があり、また、そのあとに江亜号事件もあるので、「当時」としても、洞爺丸事件が世界第2とはいえないのです。

近年の事故でも、人数がはっきりしないものが少なくありません。記録が残っていて犠牲者数(死者・行方不明者)の多かった海難を以下に列記します。(※印は戦時)

1865年 サルタナ号(アメリカ)1450人以上(1547人、1900人説あり)
1904年 ゼネラル・スローカム号(アメリカ)1031人
1912年 タイタニック号(イギリス)1517人
1914年 エンプレス・オブ・アイルランド号(カナダ)1024人
※1915年 ルシタニア号(イギリス)1198人
※1915年 ロイヤル・エドワード号(イギリス)935人
※1916年 プロバンス号(フランス)930人(3100人説あり)
※1917年 モンブラン号(フランス)・イモ号(ベルギー)1654人(2000人以上説あり)
1921年 ホン・モー号(シンガポール)1000人
1939年 インディギルカ号(ソ連)700人以上
※1943年 高千穂丸(日本)844人
※1944年 対馬丸(日本)1484人
※1944年 順陽丸(日本)5620人
※1945年 ビルヘルム・グストロフ号(ドイツ)9343人
※1945年 シュトイベン号(ドイツ)4500人
※1945年 阿波丸(日本)2000人以上
※1945年 ゴヤ号(ドイツ)6666人
※1945年 カップ・アルコナ号(ドイツ)5594人
※1945年 ティールベク号(ドイツ)2800人
※1945年 小笠原丸(日本)638人、第二新興丸(日本)約400人、泰東丸(日本)667人(3船殉難事件。計1708人とされる。終戦後の8月22日に発生)
1948年 江亜号(中国)1100人以上(2750~3920人説あり)
1949年 太平号(中国)1000人
1954年 洞爺丸(日本)1155人(台風15号により洞爺丸、第十一青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸の5隻の青函連絡船が沈没。犠牲者総数1430人)
1987年 ドニャパス号(フィリピン)4375人
1993年 ネプチューン号(ハイチ)500人以上(1700人説あり)
1994年 エストニア号(スウェーデン)852人
1996年 プコバ号(タンザニア)894人
2002年 ジョラ号(セネガル)1863人
2006年 アル・サラム・ボッカチオ98号(エジプト)1018人
2008年 プリンセス・オブ・ザ・スターズ号(フィリピン)773人以上(1000人以上説あり)

1987年にフィリピンで起きた「ドニャパス号事件」は、フェリー(貨客船?)のドニャパス号と小型タンカーのベクター号が衝突して、ともに炎上・沈没したものです。生存者はわずかに26人で、ドニャパス号の定員が1500人であったため、当初、犠牲者1500人と発表されましたが、3000人以上が乗っていたという証言があり再調査の結果、4375人とされました。

この数字を信用するとすれば、今のところこれが「平時、一般商船」としては史上最悪の海難となります。