青函連絡船はなぜ廃止されたのですか?

青函トンネルの開通にともない、青函連絡船は廃止されました。

青函トンネルは戦前から計画されていて、戦後すぐに地質調査も行われ、台風で5隻の連絡船が沈んだ洞爺丸事件により、建設の機運が高まりました。

青函連絡船は、鉄道連絡船(海や川、入り江など、線路が敷けないところを船で連絡する)であり、鉄道ができれば廃止されるのは最初からの運命です。

ただ、青函トンネルは紆余曲折のすえ新幹線規格で建設されることになりましたが、もし北海道新幹線がトンネル開通に間に合っていれば、青函トンネル(新幹線)は旅客専用とし、連絡船は貨物専用で残すという計画もありました。

しかし、北海道新幹線建設は遅れ、トンネルにはとりあえず在来線が敷かれ、連絡船も廃止となりました。

ときに、「輸送量の減少が廃止のおもな理由」と説明されることもありますが、末期の青函連絡船は、最盛期の半分になったとはいえ年間200万人の旅客と400万トンの貨物を運んでおり、これらをすべて民間のトラック、フェリー輸送に置き換えることは不可能です。

車両航送の圧倒的な輸送効率から考えても、青函トンネルが建設されなければ、廃止されることはなかったでしょう。

なお、青函トンネルの開通により、「天候に影響されない安定した安全輸送が可能となった」といわれていますが、青函トンネル内はともかく、その前後の津軽線・江差線は水害・雪害に弱く、また脱線事故も起こり、しばしば遅延・運休しています。

いっぽう青函連絡船は、津軽丸型が就航した昭和40年代以降は、天候が原因で遅延・運休することはほとんどなく、連絡船が止まるような荒天時は、たいてい鉄道のほうが先に運休となっていました。

さらに、大雨・大雪等で遅れた東北本線の列車を待って出港し、航行中にその遅れを取り戻すということが、しょっちゅうあり、じっさいは連絡船のほうが鉄道よりはるかに安定輸送を確保していました。