青函連絡船は何隻あったのですか?

青函連絡船として建造され就航したのは45隻(車運丸*含む)ですが、それ以外にほかの航路(鉄道管理局)からの転属*や助勤*、また、ほかの会社から借りて走らせた船(傭船*)などがたくさんあります。

1964(昭和39)年から近代化船(高速自動化船)がぞくぞくつくられ、1977(昭和52)年に客船(旅客・車両航送兼用。摩周丸も同じ)7隻、貨物船(車両航送専用)6隻がそろい、 輸送力は過去最大となりました。

その後、輸送量の減少とともにだんだん減って、1987(昭和62)年のJR 移管時には、客船7隻(うち2隻は貨物船を改造して客室を設けた石狩丸と檜山丸)、貨物船1隻の計8隻となっていました。

なお、1924(大正13)年の翔鳳丸以降、青函連絡船として建造された船(41隻。第九青函丸*・初代石狩丸*を含む)は、すべて車両航送船*です。

[注]
  • 車運丸:青函連絡船の車両航送船第1号だが、自航力のない「はしけ」で、貨物船や桜島丸などの曳船に引かれて走った。
  • 転属:青函航路は国鉄連絡船の1航路で、ほかの航路(関釜=下関-釜山、稚泊=稚内-大泊)や他用途(運炭船、貨物船など)から転属してきた船もあった。
  • 助勤:所属は他航路(他鉄道管理局)のままで、青函航路(青函局)に応援に来た船もあった。
  • 傭船:青函航路には多数の傭船があるが、なかには會下山丸、弘済丸、敦賀丸のように客船として長期にわたり活躍した船もある。
  • 第九青函丸:青函連絡船として建造されるが、造船所からの回航途中に沈没してしまい、一度も青函航路に就いていない。
  • 初代石狩丸:博釜連絡船として建造されるが、終戦に間に合わず、青函航路に就航した。
  • 車両航送船:船の中に線路が敷いてあり、貨車を直接積み込んで運ぶ構造になっている。
[就航船内訳](機帆船を除いて90隻=未確定=継続調査中)
  • 青函航路用として建造された客貨船:2隻(比羅夫丸、田村丸)
  • 青函航路用として建造された貨物船:2隻(白神丸、龍飛丸)
  • 青函航路用として建造された非自航式車両航送船:1隻(車運丸)
  • 青函航路用として建造された自航式車両航送船:40隻
    • 翔鳳丸型:4隻(翔鳳丸、津軽丸、松前丸、飛鸞丸)
    • 青函丸型:4隻(第一青函丸、第二青函丸、第三青函丸、第四青函丸)
    • W型戦時標準船:7隻(第五青函丸、第六青函丸、第七青函丸、第八青函丸、第十青函丸、第十一青函丸、第十二青函丸)
    • H型戦時標準船:1隻(石狩丸)
    • 北見丸型(W型):2隻(北見丸、日高丸)
    • 十勝丸型(H型):2隻(十勝丸、渡島丸)
    • 洞爺丸型:4隻(洞爺丸、羊蹄丸、摩周丸、大雪丸)
    • 檜山丸型:2隻(檜山丸、空知丸)
    • 十和田丸型:1隻(十和田丸→石狩丸)
    • 津軽丸型:7隻(津軽丸、八甲田丸、松前丸、大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸)
    • 渡島丸型:3隻(渡島丸、日高丸、十勝丸)
    • 空知丸型:3隻(空知丸、檜山丸、石狩丸)
  • 関釜航路から助勤・転属:8隻(第二阪鶴丸、對馬丸、初代壱岐丸、新羅丸、景福丸、二代壱岐丸、昌慶丸、徳壽丸)
  • 稚泊航路から転属:2隻(亜庭丸、宗谷丸)
  • 国鉄経理局から転属:2隻(第一快運丸、第二快運丸)
  • 明治・大正期の傭船:16隻
    • 一般商船:15隻(うめが香丸、會下山丸、萬成源丸、生玉丸、泰辰丸、弘済丸、蛟龍丸、第八大運丸、第三共栄丸、甲辰丸、第十二小野丸、伏木丸、敦賀丸、山陽丸、伊吹丸)
    • 逓信省から:1隻(羅州丸)
  • 戦中・戦後期の傭船:11隻
    • 一般商船:7隻(温州丸、樺太丸=もと初代壱岐丸、大正丸、三輪山丸、浦河丸、第五日高丸、幸丸)
    • 陸軍拿捕船:1隻(暁南丸)
    • 海軍拿捕船?:1隻(建泰丸)
    • アメリカ軍上陸用舟艇:2隻(LST-21、LST-22)
  • 大戦末期から終戦直後の臨時輸送:7隻
    • 海軍徴用船(特設艦船):2隻(千歳丸、浮島丸)
    • 一般商船:3隻(第六新泰丸、豊玉丸、寶城丸=豊城丸の誤記と推察)
    • 漁業母船:1隻(信濃丸)
    • 陸軍機動艇(SS艇):1隻(機動第十九號艇=推定)
  • 機帆船
    • 戦時中:多数(詳細調査中)
    • 終戦直後の臨時輸送:23隻