なぜ記念館になっているのですか?

青函連絡船の歴史と果たした役割を学んでいただくためです。

青函連絡船は1908(明治41)年から1988(昭和63)年の80年間にわたり運航され、本州と北海道を結ぶ大動脈として北海道、日本の発展を支えました。

また、津軽丸型連絡船(摩周丸も同じ)は、台風で5隻の連絡船が沈没したあとにつくられた船で、ぜったい(とはいえないのですが)沈まないように工夫されているだけでなく、操船の大部分を自動化した、当時の世界最高の性能をもつ船でした。

そして、連絡船(鉄道連絡船)は鉄道と同じように分きざみのダイヤで発着しており、その正確で安全な運航を維持していた人びと(乗組員をはじめ、桟橋職員、また、運航を管理する人や船体を整備する人など)がいました。

これらのことをみなさんに知って、考えていただき、みなさん自身、そして日本や世界の将来に役立ててもらうために、保存・展示しています。